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quadra blog

更新履歴/拍手レス/ソウキド妄想雑記など

   2024

0516
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   2011

0812
キッドとブラ☆スタは互いに乗り越えるべき壁である、というような感想を書いた訳ですが、関連してソウルの事を考えてしまいます。何分壁の多い人ですよね。現デスサイズだとか。兄だとか。

まぁでもどうなんでしょうね。殆どの場合壁ってのは自分で勝手に創ってしまっているものですよね。ソウルもそういう傾向ありますよね。
ソウルにとってウェスは越えるべき壁ではない、というのが個人的所感ですが。
以下はほぼ妄言。


誰かを崇拝しすぎると真の自由は得られないと言いますけど、ソウルのウェスに対する感情は性能差からくる劣等感だとかそういうものよりも根深いものなんじゃないですかね。
ソウルにとって兄の音というのは、彼の理想とする音の完成系であり本来ならば目指すべき高みであるのだけど、自分の音を突きつめていくとその理想形には決してならないということを、感じていたが故の絶望、なのではないかと。
ソウルのピアノに狂気があったのはいつからなんでしょうね。黒血が入り込むより以前からだったのだろうと思うんですよ。今は顕著になっているだけで。
それは魅力のある音だと思うんですよ。暗くてヘンな曲、だけど好きだって言われるそのピアノは。
けれど正しくはないのかもしれない。少なくとも彼は自分でそう決めたのかもしれない。自分のそれが誤ったものであるという思いがあるから抑えようとする、テクニックだけで弾くことはできても感性を解放できない、そうして「自分はウェスのようにはなれない」って捩れてしまうのかと。
それは技量面以外の、根源的な才能の欠乏による絶望、というだけのものには思えないわけです。
兄という分かりやすい形をとっているけれど実際のところピアノと、彼自身の音楽と向かい合う事自体からの逃げだったのか、とかなんとか。

一つ前の本のアレはそんなような事をつらつらと考えつつ書いて書き切れはしなかったんだけどまあさておき。
結局いつでも自己完結型なんですよね。狂気に堕ちたときでさえも。少年漫画のヒーローとしてはあまりに内省的だよなァとは。だって魂を預ける相棒の存在ですら彼を引き上げる決定的なものにはならないんですよ。狂気を求め規律に縛られるが故の葛藤とそこから自らの力だけで這い上がる様ってのは勿論ソウキド的には大変美味しかったのですが。
だからといって相棒とか周囲の存在がまったく不要だったとか思ってるわけじゃなくてね。人と接することが俺も怖いよと言ったじゃないですか。人を知るという事は同時に自分を知るという事でもありますよね。そういった決定権を他人に委ねない非妥協的なところはあれど、死神のボンボンが仲間を得て変わってったのと同じに彼もまた外部からの影響は大きく受けていて、だからこそ自分の内部に、そこにずっと持っている答えに向かいあえたっていうのがあの狂気堕ちからの帰還だったのかとか。

切磋琢磨する友人二人をソウルはどんな気持ちで見ているのだろうかとね。
単純に自分と兄に重ねることはないだろうけど、そういうボンボンの子供のような真っ直ぐさに触れて、それは彼が何かを決断する時にきっと影響するのだろうな、していればいいなとは思ったそんな89話だったりしました。
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